カーマインの誘惑

 

カーマインの誘惑

 



 


 地下にあるネズミと紫苑の住処は陽の光が入りにくく、昼でも灯りをつけてなければ薄暗く時の流れがまるでわからない。
 今日もそれは変わらずで、この西ブロックにきてどれくらい経ったのだろうと紫苑は思った。こうして寝る場所やシャワーが浴びれる場所があること、そして今まで見ることも出来なかった本や物に触れられる生活はありがたく、そして充実していた。
 熱く、心地良い温度のお湯が頭上から流れる。旧式ではあるものの、きちんと役目をこなすシャワーは至福のひと時でもあった。外に出て働き、体を動かしてかいた汗を一気に洗い流してくれる。シャンプーや石鹸は西ブロックで決して安いものではなかったが、食費を削っても手に入れたいものだという点で紫苑とネズミは合致していた。その為風呂周りの品は切らす事なく常に用意されていた。
 ボトルに入れられたシャンプーを出し、頭を洗う。洗い流し、手で髪を梳かすと数本の髪が引っかかり紫苑の指に絡まっていた。水に濡れ、銀色に光るその髪は毛根からして色素が変わってしまたのだろう。髪が伸びてもその色が変わる事はなかった。体に巻き付くように出ている紅い痕も髪と同じく、発色が変わることも形が変化する事もなかった。母さんが今の自分の姿を見たらどんな反応をするだろう、と考える事がある。けれど、再会の時をいくら想像しても浮かぶのはあの優しい笑顔と美味しそうなパンの香りで、哀れむような目や拒絶されるような事はないのだろうと思っている。そう思えるのはネズミがそういった態度を一切とらなかったから。彼がそんな態度を少しでもとっていたのならすぐにでも自分は髪を染め、この痕を消そうと努力しただろう。しかし彼は、ネズミは違った。この髪も、痕も、きれいだと言ってくれた。
 石鹸で体を洗い、泡だらけになった全身を流しシャワー室を出る。脱衣所に置いておいたタオルで体を拭き、首にかけ、下着を身につける。
「あ」
 寝間着を着ようと、いつも置いている筈の場所に手を伸ばしてもある筈の服がない事に気付き、一瞬どこに忘れてきたのだろうかと考え込んでしまった。そういえば、今日は天気がいいからと洗濯して畳んだままにしてきてしまったかもしれない。寒さを感じる訳でもないし、ネズミしかいないこの部屋で恥ずかしがる必要もないだろうとそのまま服が置かれてあるであろうベッドへと進んだ。

 

「ねえここら辺に僕の寝間着置いてあったと思うんだけど知らない?」
 先にシャワーを浴び、寝る前のひと時、とベッドに寝そべり読みかけの小説を読み進めて暫く。歩いてくる音が聞こえた後に頭上から声がし音の元を辿るように顔を文字から外すと、首からタオルをかけパンツ一枚の紫苑がそこにいた。
「……知らないけど」
「確か、ここら辺に置いたと思ったんだけどなあ」
 小説もそこそこにブツブツと何か呟きながら周辺を歩き回り、服を探す紫苑を寝そべったまま眺めた。向こうにいた時よりは痩せたものの、日頃の労働で筋肉が使われている所為かそこまで酷い痩せ方はしておらず、むしろ此処に住んでる人間の中では綺麗に引き締まっていると言ってもいいだろう。と、眺めながらに思う。髪を洗ったせいで濡れ、タオルで拭いきれなかった水滴が光り灰色というよりは銀色に近いその髪も綺麗だと思うし、何よりもその体に巻き付くように存在する紅い痕が魅力的だとネズミは思っていた。熱いシャワーのせいで火照っている紫苑の体は、いつも以上にその痕が紅く鮮やかに目に映る。
「おかしいな。きみ、本当に知らない?」
 そういえば、と自分の後ろにある何かを思い出す。寝そべってから気付いたものの、どかすのも面倒臭いとそのままにしていたものがあった。あれは、紫苑の寝間着だったのではないだろうか。そう思い出しながらもそのまま紫苑に気付かれず、隠すように奥へとネズミ自身で隠されてしまったものを追いやる。
「……知らない」
 足首から這い上るようにして伸びるその痕に目が離せず、そのまま紫苑を見ていると辺りを探す事に飽きたのかネズミのいるベッドへと歩み寄り、腰を下ろした。
「裸のままじゃ流石に冷めたら寒いしなあ…どこいったんだろ」
 紫苑の背中が、あの紅い痕がネズミの目の前に広がる。

 それは、本能のように。
 気付けば、ごく自然に、背中にある痕をなぞるように触れていた。
「っ! ……ネズミっ!?」
 気を完全に抜いていたのかネズミがいきなり触れた事で体を大きく震わせ、驚いたようにネズミを見る。
「顔、赤いけど?」
 風呂上がりにせよ、服を探していた時以上に全身を赤くさせネズミを見る紫苑にネズミの心を燻らせるものがある事を紫苑は気付いていない。素から出るその反応に笑みを浮かべ紫苑を見るとさっきよりも肌を赤くさせている紫苑がネズミの前にいた。
「っ……きみがいきなり触るから……その、」
「体まで赤くなってきてる」
 すう、っと人差し指でそのままなぞり続けていると何かを我慢しているかのように体をくねらせながらその動きに耐えているようで。面白い、とネズミも起き上がり紫苑に近付き首にかかっているタオルを取り顔を耳元に近付け、這わせる指は痕を脱線させ首元へ向けて上昇させる。
「ん……っ」
 耳元でそっと息をすると響いたのか声を漏らし耐える紫苑が可愛く思えた。肩に手をかけ身を乗り出し、彼の顔を確認すると真っ赤に頬を染めながらもぎゅっと目を瞑っている紫苑の顔がネズミの瞳に映った。顔から首、胸、腹へと視線を下げていくと下着へと辿り着き、そしてその下着の中心が張っている事に気付く。瞬間、ネズミの中でなんとも表現出来ないような感情が溢れ、ネズミを埋め尽くしていった。口元がどんどん緩みニヤけてしまうのを抑えられる筈もなく感情をそのままに、指で痕をなぞる事を再開し、紫苑の終点である頬に辿り着く。
「ねえ、我慢してるようだけど……どうしたの?」
 出来るだけ甘く、優しく、そして絡み付くような音でそっと耳元で囁く。
「っ……」
「……もしかして、感じてるとか?」
 膝の上で握りしめられた拳に手を重ね、ゆっくりと優しく解してやり、そのまま太ももにそっと手を添える。紫苑の後ろから手を伸ばしている為彼が今どういった表情をしているかはわからないが、興奮と緊張している事だけは伝わってきた。ネズミ自身、その反応にぞくりと震え興奮しているのだと自覚する。
「誘って、る、……のか?」
 聞こえるか聞こえまいかの声量で問いかける紫苑に
「だとしたら? どうする?」
追い打ちをかけるように問いかける。先程よりもはっきりと主張し出している性器は早く打ち明けてしまえと言っているようにも見えた。紫苑の顔を下から覗き込むように、彼の目を見る。おろしたままの髪先が紫苑の太ももをかすれさせていて痒いだろうとは思いつつも気付かないフリをした。
 充血させネズミを見るその目は欲望のままにしたいとも、その通りに動いた時行う行為で一線越えてしまうであろう事に対しても躊躇しているかのようにネズミには映った。ここで我慢されてはつまらない、とばかりにじっと見つめ続け返事を待つ。
「っ……した、い、です」
 よく出来ました、と頬にキスをし紫苑に微笑みかける。素早く紫苑を跨ぎ膝の上に座り、同時に押し倒そうとすると「うわっ」とかさっきとは違って色気のない声を出すものだから笑ってしまった。
「男同士でする時ってどこ使うか知ってる?」
「一応」
「なら、話が早い。あんた上と下どっちがいい?セックス自体初めてなんだろうし選ばせてやるよ」
「僕が上でもいいのか!?」
腰に手を回されたかと思うと勢いよく上半身を起き上がらせる紫苑に驚きつつ、もう一度ネズミの自身ごと倒すと、今度はベッドのスプリングの軋む音だけが部屋に響いた。
「こんな事でもないとあんた一生童貞卒業できそうにないしな」
「それは……」
目を逸らし言い淀む紫苑の、今度は唇にキスを落とす。
「リードして差し上げましょう、陛下」

 

 吸い付くように舌を絡め、激しく互いの口内を行き交う。自分の真似をしろ、と始めたこの行為は一体どれ程の時間しているのだろうか。貪り合いながらも片手は紫苑の体に這わせ、下へ下へと降りていく。胸を触ったところで女みたく性感帯に始めからなっている訳でもないのでそのままにし、下着の上から強く主張する性器に下から上へと撫でるようにして触れる。先端で止まり、捏ねるように親指でそこに触れていると熱く湿る液体が下着から染み出した。粘り気のあるそれはネズミの指が動く度に溢れ出し、紫苑の敏感な場所を刺激する。
「ネズミ……っ、直接触って欲しい」
 唇がどちらからともなく離れ、紫苑が素直に自分の要望を伝える。言われて嫌な気持ちも、抵抗もないので言われた通り直接触ろうと下着を脱がしにかかろうとすると、服を掴まれ止められる。不思議に重い紫苑の顔を見ると、ネズミの服も脱がせたいらしく、紫苑が望むままネズミも着ている服を脱いだ。
「これで満足?」
「ああ、綺麗だよネズミ」
 ヘラッと笑う紫苑に紫苑らしい、と思いつつ行為を再開させる。
 下着の締め付けから解放されそそり勃つ男性器に触れると、先程の行為で溢れた先走りが性器全体に垂れていたのか、上下に扱いた途端、くちゅっと独特の水音が部屋に響いた。扱く度に溢れる先走りを塗込むように性器につけ、滑りを良くさせる。
「っあ……え、ネズミ!? どこに口付けて……ん」
 下半身へと顔を近付け、性器に辿りついたところでリップ音をわざと立てるように陰茎や陰嚢にキスを落とし、裏筋から亀頭へ向かうようにして舌を這わせたり吸い付いたりして遊ぶ。
「そんなとこ、汚いからやめろって」
「汚くなんかないさ」
 頂上である亀頭へと辿り着き、鈴口から溢れ出る先走りを軽く吸いながら舐めとると独特の味が口内に広がった。そのまま口に残し、勢い良く幹を咥える。根元まで包むように、自分の限界まで口に男性器を含み、吸い上げながら上下運動を繰り返すと紫苑の精液とネズミの涎が混ざり合い卑猥な音が部屋を響かせた。
 強く吸い上げる度に腹筋に力を入れるのがネズミへと伝わってくる。
「……は、っ……」
 紫苑の初めてをひとつひとつ奪っていっているのだと思うとたまらなく、早急に事を運び早く奪いさって自分だけのものにしてしまいたいという欲とゆっくりと味わいひとつひとつ奪っていきたいという欲望が自分の中で葛藤しているのがわかった。
 こんなにも、人を欲した事があっただろうか。
 そう思った途端、酷く腹の辺りが熱くなるのを感じる。
 からかうように紫苑に触れ、彼はその通りに反応させていたがそれは彼だけではなく自分も同じだった。緩く勃ち上がり始めていた自身は今痛みを感じる程に勃ち上がり、先走りを垂らし始めているのか四つん這いになっている所為で太ももに液体が付着し、伝うようにして垂れているのを感じていた。
「きもひい?」
「ん……気持ちいいよ」
 発する音でさえ愛撫にしようと敢えてそのまま口に性器を含み、含みきれなかった部分は手を添え、舌で遊びながら紫苑に問う。上目使いで紫苑を見つめ、恥ずかしがるその姿を目に焼き付ける。
 忙しなく呼吸をしながら快感に耐えるように目を潤わせ、頬を赤く染めてネズミを見る紫苑に満足し行為を続ける。膝にも力を入れているのか、時折痙攣し揺れる紫苑の感じからしてそろそろ限界なのだろう。ラストスパートをかけようと一気に根元まで口に含み、勢いよく頭を上下に動かした。片手で性器を支え、無造作に空いた手で太ももに撫でるようにして触れる。
「あっ、ネズミ……っ!だめ、離れて!」
 焦ったように紫苑の声がした瞬間、触れていた太ももが強張るのが伝わってきた。彼の言葉を無視し、そのまま口淫を続けようとした瞬間、大きく紫苑が震え、熱い泡沫がネズミの口に溢れた。お世辞にも美味いとは言えないその精液を溢れないよう口内で軽く吸いながら掬いとり、紫苑が収まったところで離れた。
 肩で息をしている紫苑を見つつ、口に入れたままの精液を手に垂らす。紫苑を跨ぐようにして膝立ちの体勢をとり、溢さないように気を配りながら双丘の先にある窪みに触れ、擦り付けるようにして重点的にほぐした。
「っ……ん」
 本来侵入する場所ではないその器官はネズミの指を拒むように収縮する。違和感を我慢するようにして侵入を続けるとやっと一本、指がネズミの中へと侵入した。
「ネ、ネズミ?」
 顔を紅くさせ、興奮気味になりながらも心配そうにネズミを窺う紫苑に向かって微笑み、行為を続ける。挿れた指を弄らせ、確かここら辺に前立腺があったはず、と探るようにして壁に触れる。
 正直、同性との性行為は初めてだし、ネズミ自身知識しかなかった。今こうして、まさか自分から誘って行うだなんて考えてもなかったのだ。
「んぅ……はっ」
 ふと、ある箇所に触れた時。決定的ではないけれど快感を覚え眉を細める。声を出来るだけ漏らさないように口の中で噛み殺しながら、敏感な部分を集中的に触れ指を増やしてほぐした。
「くっ……ぁ、ふ」
 後孔を刺激する快感と違和感に挟まれながら、紫苑を見遣る。ネズミが射精させてから紫苑の性器には二人とも触れてないというのに、触れなくてもわかる程にそそり勃ち、先走りを垂らせていた。ネズミ自身、ほぐし始めた最初は違和感と痛みで萎えたものの快感を得始めてからは再び熱を持ち出していた。
 吐き出す息が、そしてネズミを見る紫苑の視線が熱い。
 部屋には二人の荒々しい呼吸音と、ネズミの後孔から聞こえる水音が部屋に響いていた。
 挿入する指を三本までに増やし、慣れ出したところで引き抜く。一歩近付き、紫苑の肩に手をかけ体のバランスを調節し彼の主張する男性器を自身の後孔へと充てがった。
「挿れるよ?」
「う、うん」
 紫苑が頷いたのを確認し、ゆっくりと挿入していく。
「っ……あ」
 指とは違うその質量がネズミの内部を強制的に押し拡げるその痛みに耐えようと、思わず紫苑の胸に頭を擦り付ける。カリ首を過ぎると比較的楽に進み、全て埋まったところで痛みを誤摩化すかのように舌を絡め合わせ自身を落ち着かせる。
「どう?俺のナカ」
 何故だかはわからない。わからないが、紫苑の前では余裕のある自分を見せたく態と挑発するような言葉を口にしてしまう。くだらない見栄だと理解しながらも自分は結局、紫苑に全てを曝け出すのが怖いのだろう、と僅かに残る理性で自己分析してしまう。純粋な紫苑はそれに引っかかるのだろう。
「すごく熱い……っ、」
 不意に肩を掴まれたかと思うと押され、体がベッドへと落とされ紫苑が覆い被さる。
「どうしようネズミ! 気持ち良過ぎてっていうか、きみと繋がれるだなんて」
 興奮気味に話す紫苑に自分は本当に理性を張り、強がる必要があるのだろうかと疑問に感じてしまう程だった。
「そんなに喜んでもらえるなら何よりで」
「でも、ごめんネズミ、もう我慢出来ない」
 耳元でそう囁かれた瞬間、今まで埋まっていた性器が一気に引き抜かれ、そして打ち付けられる。
「ああぁっ……っは、んっ」
 いきなりの強い圧迫と鈍い快感に声をあげる事しか出来ず、ほんの数十秒前に思っていた事なんて一瞬でどこかに消え去ってしまっていた。主導権はネズミから紫苑へと渡ってしまったのだ。
「んぅっ、ぁ、……ひぁっ!?」
 紫苑が打ち付ける中でゴリ、と内部が掠れ電流が身体を走ったような感覚がした。瞬間、続いてこれまでには得られなかった鋭い快感がネズミへと伝わる。裏返ったネズミの声と締めつけに持っていかれそうになるのを必死に堪え、打ち続ける。密着する紫苑とネズミの間に、ネズミの性器が二人の腹を汚すように先走りを溢れさせた。紫苑が動く度に擦れ、内部からだけではなく外からもネズミを刺激した。
「あっ、やっ、しおっ、ぁあっ」
「っ……ネズミっ」
 限界が近付いているのか打ち付けるスピードが早まる。強い刺激を受けてからいつの間にか痛みは消え快感がネズミの思考を奪っていく。容赦なく襲う刺激にどうしたらいいのかわからず、しがみつくように背中に手を回すと普通の皮膚よりもほんの少し浮いて出ている痕を見つけ、痕の流れに合わせてなぞる。独特の皮膚のその感覚に興奮し、ネズミ自身も限界が近付く中ひたすらに触れた。

 ――どうやら自分は紫苑のこの痕が特別好きらしい。

 真っ白になっていく頭の片隅で微かに認識する性癖に笑いながらも、紫苑にしがみつく。主導権を持ち行為に及んでいた時のあの余裕さはなんだったのだろうかと思いながらも彼の欲を受け止め、同時に自分自身も欲を吐き出した。

 

「……あ!」
「ん?」
「あった。僕の寝間着」
 情事後、再度汚れてしまった身体を洗いに行く訳でもなく、余韻に浸るかのようにベッドに寝転んでいると紫苑が小さく叫び、足下に丸まり皺だらけになった洋服を手にとった。
「あー……」
 そういえば探してたんだっけか。心の中で思い出す。やっぱ知ってただろ、と紫苑が睨んでいるような気もしたが知らないフリを吐き通した。
「それにしても、まさかネズミに誘われるとは思わなかった」
「あんな真っ赤になって我慢してる誰かさん見たらねぇ……?」
「っ……それはきみがあんな触り方するからだよ」
 お返しとばかりに返した言葉に反論しつつも、もじもじと顔を紅くさせる紫苑が可愛く笑ってしまう。意地悪もそこそこに、少し甘やかしてもいいだろう。
「あぁ。……初めて男に欲情した」
「えっ!?」
「ま、お互いの初めて貰い合ったってことで」
 どんな反応をするだろうかと眺めていると、眉間に皺を寄せ、何か考えているような、我慢しているような表情をした。何故そんな顔をするのかと不思議に思っていると、隣で一緒に寝そべっていた筈の紫苑が勢いよく起き上がった。
「どうしてそれを早く言わなかったんだよ!」
「別に言う程の事でもないかと思って」
 バカッ! と怒鳴られ、意味がわからないと紫苑を見る。
「……っ余裕なさ過ぎて全然覚えてないんだよ」
「……はぁ?」
「て事でもう一回しよう! 今度はちゃんときみの顔見れるように頑張るから!」
 そう言った途端、勢いよく紫苑がネズミの上に覆い被さる。
 確かに、痛いだけのものではなかったし誘いに乗るのも悪くないかもしれない。そして、紫苑には絶対に言わないが、彼の、自分に対する言動ひとつひとつがネズミにとって何よりも嬉しく、少しこそばゆい気持ちもするが愛しく、そしてそれを求めている自分がいるのもまた事実だった。
 イエスと答える代わりに首筋に巻く痕に触れ、紫苑の唇に口付けた。

 

fin.